【教材研究こぼれ話】「荘園制の『作人』と『小作人』って何が違うんですか?」を考える【質問回答】
私は公立高校で日本史を教えている。
このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。
日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。
今日は生徒から質問あった内容についてまとめてみる。
「『作人』と『小作人』は、何が違うのか」
これはなかなか難しい質問である。
日本史が得意な生徒、あるいは、熱心に日本史の勉強に取り組んでいる生徒ほど、荘園制の沼にはまっていく。
この問題も、荘園制の研究史とも関連し、一筋縄ではいかない。
ここでは、「ざっくり」理解してもらうために、簡単に説明したいと思う。
前提として、古代~中世において「小作人」という言葉はあまり出てこない。
小作人は、荘園制の文脈において「下作人」「小百姓」として理解していこう。
さて、まずは「作人」について。
簡単に定義すれば、「作人とは、田畠を耕作する者」ということになる。
ただし、高校日本史においては、名主のもとで田畠を耕作するものを「作人」と呼ぶことが多い。
名主は、負名(田堵)の系譜を継ぐものだと理解しておこう。
負名(田堵)は、土地の所有権が弱いが、11世紀ごろに出現する「名主」は、土地への所有権が強いことが特徴である。
負名(田堵)は、土地を借りて(請け負って)耕作(土地経営)をしているにすぎない。
しかし、時代が流れるに従って、借りている土地をまるで自分のもののようにしていった。それを「所有権を強めた」と表現している。
その結果出現してくるのが、名主なのである
さて、名主は田畠の経営を行ったり、徴税を行ったりするのが仕事である。
そして、大規模な経営をする場合、自分1人ではやっていけないので、家族や「奴隷?」(後述)に手伝ってもらいながら、耕作をした。
または、土地を分割し、人に貸すことで土地を効率的に経営していこうと考えた。
このように土地を貸して、自分の代わりに耕作を行ってもらった人を「作人」と呼ぶのである。
作人は、土地を借りているので、名主に対して、賃料を支払った。
これを「加地子(かじし)」と呼ぶ。
つぎに、「小作人」とは何か。
はじめに述べたが、今日から荘園制の文脈においては、「小作人」ではなく下作人(げさくにん・したさくにん)・小百姓(こびゃくしょう)と言い換えて理解していこう。
では、定義をするとどうなるか。
下作人・小百姓とは、作人の土地を借りているものである。
つまり……
このように、重層的に連なっていると指摘できる。
さらに、下作人・小百姓に似た言葉に、「下人(げにん)・所従(しょじゅう)」というものがある。
下人・所従は、主人(名主)に対して隷属した存在だとされる。
基本的に、名主は自分の家族とともに土地経営を行ったが、それだけでは人員が足りないため、下人・所従という隷属した者(「奴隷」に近い。諸説あり)を家に住まわせ、土地を経営したのである。
下作人・小百姓は、土地を借りて経営している(「請作」という)ため、「隷属」しているわけではない。
彼らは確かに「弱小な農民」であったが、特定の名主に従属していたわけではなく、いくつのも名田の耕作をしており、比較的自由な「百性」であった。
非常にざっくりと、要点だけをまとめてみた。
勉強の助けになれば、幸いである。