【教材研究こぼれ話】「知行国制の説明に出てくる『国守』と『国司』は何が違うんですか?」【質問回答】
私は、公立高校で日本史を教えている。
このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。
日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが公立高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。
今回は、「国司」と「国守」の違いについて説明していく。
まず、質問のなかにあった、「知行国制度」とは何か。
これは、11世紀の院政期ごろに出現した制度である。
律令制度が動揺していったこの頃、貴族たちへの給料問題が深刻化した。
それへの対応策として出現したのが、この知行国制度である。
院は、一国を支配する「知行国主」に有力貴族を任命し、有力貴族は、子弟や近親者をその国の「国守」を任じる権利を得た。
そして、そのような有力貴族は、任国からの収益を自分の収入源としたのである。
さて、今回問題となっているのは、「国司」と「国守」の違いである。
簡単にいえば、「国司」の方が大きい概念である。
すなわち、「国守」も「国司」である。
では、違いは何かというと、律令制度の「四等官制」を思い出す必要がある。
当時の各官司(役所)の幹部職員(役員)は、「カミ・スケ・ジョウ・サカン」の4つの階級が存在していた。
それぞれの職によって、あてられる漢字が違ったことは重要である。
そして、国司については・・・
守(カミ)・介(スケ)・掾(ジョウ)・目(サカン)
この4つの漢字があてられていた。
これでわかると思うが、「国守」とは、国司の最上位の階級の人物だということになる。
このように、既存の知識をしっかり理解した上で、通史をかためていこう。