【教材研究こぼれ話】「国守と受領は同じですか?」鎌倉殿の13人「上総広常」から考える【質問回答】
私は、公立高校で日本史を教えている。
このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。
日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。
過去記事はこちら↓
今回は、「国守と受領は同じか」という問題について回答していく。
その前に、「国司と国守の違いは何か…?」という疑問を持っている人は、下の記事も参照してほしい。
さて、結論からいえば、「国守と受領は同じ人を指す場合もあれば、違う人を指す場合もある」というのが答えとなる。
そもそも「受領」とは何か?
8世紀頃から荘園が成立するようになり、9世紀頃には人頭税による税徴収が難しくなり、土地税の賦課が始まった。
このような地方政治の曲がり角であるこの頃、現地の政治を円滑に行うために、国司の一人は大幅な政治決定権を与えられ、徴税を一身に担うようになった。
これが、「受領」である。
このような背景のもと、「守・介・掾・目」のうち最上席者の「国守」のみが現地に残り、それ以外は任国に赴かなくなっていった。
当時、現地に赴任した最上席者の国司を「受領」と呼んだ。
また、現地に赴かなくなったその他の国司を「遥任国司」と呼んだ。
さらに、11世紀後半になると、受領すらも現地には赴かなくなり、代官である「目代」を派遣して、現地の政治を行わせるに至った。
さて、このような説明を前提に、「国守」が「受領」とならないケースを紹介したいと思う。
それは、「親王任国」と呼ばれる「常陸国」「上総国」「上野国」の場合である。
ここは、「国守」に「親王」が任命される国なのである。
これは名誉職であり、「太守」と呼ばれる。
そして、親王は現地には赴かないため、「介」が現地の最上席者となった。
現在大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されているが、佐藤浩市さんが演じている「上総広常」は、正式には「上総権介平広常」である。
「上総権介」とは、上総国現地のNO1ということをあらわしている。
このように、上記3カ国は、「介」が基本的に「受領」となる。
何気ない疑問から話は膨らんでいく。
疑問を持つことを大事に勉強を進めていこう。