【教材研究こぼれ話】世は荘園ブーム!?「初期庄園」とは何か?

私は、公立高校で日本史を教えている。

 

このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。

 

日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。

 

過去記事はこちら↓

kimi06.hatenablog.com

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今日は、多くの生徒がつまづく「荘園」について扱っていく。

あまり日本史に興味がない人にとっては驚きかもしれないが、近年「荘園」はちょっとしたブームなのだ。

 

最近、伊藤俊一氏の『荘園』(中央公論新社、2021年)が大変ヒットした。

 

また、それに後押しされる形なのか、「荘園」に関連した名著工藤敬一『荘園の人々』が復刊している。

 

 

日本史を受け持つ先生方だけでなく、受験生もぜひ読んでみてほしい著書である(特に前者は最近までの研究史を幅広くおさえている)。

 

なお、もっと専門的な研究史を知りたい方は↓を。

 

 

 

詳しい話は、これらの参考文献をぜひ活用して頂きたい。

 

 

さて、今回は「初期荘園」について要点をまとめていく。

 

まず、「初期荘園」が成立するきっかけは何であったか。

 

それは743年(天平15)に墾田永年私財法が発布されたことである。

 

この前には、三世一身の法(723年・養老7)が発布された。

だが、「三世」に限った「私有」は、人々の開墾(新しく田畠をひらくこと)意欲を削ぎ、失敗に終わった。

 

そのため、墾田永年私財法は、種々の条件付であったが、人々に「墾田」の永久の「私有」を認めたのである。

 

墾田永年私財法については、こちらの記事も参考に

kimi06.hatenablog.com

 

このような背景をきっかけに成立した「初期荘園」は、後の中世以降に続いていく「荘園」と何が異なるのか

 

まず、一つ目。

「初期荘園」を成立させていくにあたって、国司や郡司といった律令制の支配機構を頼ったことがあげられる。

 

当時、郡司といえば、地方の名士(有力者)であり、それを頼ることが必要だったのだ。

 

そして、二つ目。

「荘民」、つまり、荘園で暮らす人が存在せず、「浮浪」(重税のため、戸籍・計帳に登録されている土地から逃れている人)等の「賃租」(土地を貸付て徴収した賃料)で荘園の経営が行われたこと

 

(なお、「浮浪」は収穫の一部を「賃租」にあて、他の収穫を自分のものにした)

 

そして、三点目。

一点目に関係して、律令の支配機構に依拠する形で経営をされていたため、律令制が変質し始めた10世紀ごろには、その姿が消えていったこと

 

これらが「初期荘園」の要点となる。

 

ぜひ勉強の際に参考にして頂きたい。