【教材研究こぼれ話】明治時代、議会解散・内閣退陣多すぎじゃね?その理由とは?
私は公立高校で日本史を教えている。
このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。
日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが公立高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。
さて、明治時代の勉強をしていると、ふとこんなことを思うのではないだろうか?
「議会解散しすぎじゃね?」
「見通しが立たず解散って何?」
このような疑問を持つのは、現代人にとって当然のことだといえる。
この疑問に答えるためには、いまの内閣ー国会の関係と、明治期のそれとの違い、そして、大日本帝国憲法(明治憲法)の特徴をしっかりおさえる必要がある。
まず、現代において、内閣と国会の関係を表すものに、議院内閣制というものがある。
これについて「衆議院」のホームページがまとめてくれているので引用してみよう。
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名されます。また、内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負うものとされており、衆議院で不信任を議決されたときは、衆議院を解散するか、あるいは総辞職をしなければなりません。このように内閣の組織と存続の基礎を国会に置く制度を議院内閣制といいます。
ここで大事な事実は、内閣総理大臣が国会議員の中から選ばれること、さらにいえば、最大与党の代表者が選ばれることが重要である。
つまり、多くの場合、内閣と国会の間で意見が対立することはないのである。
(もちろん、「ねじれ国会」などの場合は除く)
しかし、大日本帝国憲法下では、内閣についての規定は存在していない。
そのため、内閣は国会の意見を代表しているとは限らず、意見の対立が生まれやすかったのである。
また、明治憲法には次のような規定があることも重要である。
大日本帝国憲法第65条
予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ
大日本帝国憲法第71条
帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ
明治期に内閣が解散に至る理由に、軍備拡張のための予算案不成立があげられる。
これは、いくら内閣が軍備にお金を回したいと考えても、国会(とくに衆議院)の反対があったならば、それが叶わないことを意味している。
このような状況になると、見通しが立たないため、議会を解散しもう一度選挙を実施するのである。
また、教科書には、内閣が政党を味方につけるといった趣旨の文言がしばしば出てくる。
内閣は、予算案や法律が思い通りにいかないと、議会の議席を得るために、政党に近づき、内閣にとって有利な方向にもっていこうとした。
そして、そのかわりに政党の有力な人物(政党の代表)を内閣に引き入れたのである。
上記のような説明をきけば、なぜ明治時代にあれほどまでに議会を解散する/内閣が退陣するのかイメージできるのではないだろうか。
このように、疑問に思ったときは立ち止まり、理由をじっくり考えていこう。