【教材研究こぼれ話】墾田永年私財法によって「律令国家」の支配は動揺したの…?
私は、公立高校で日本史を教えている。
このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。
日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。
過去記事はこちら↓
さて、今日は中学生でも名前を知っている「墾田永年私財法」についてまとめていく。
私が授業をするときに生徒に問いかけるのは、「墾田永年私財法の発布によって『律令国家』は動揺したのか?」というものだ。
743年(天平15)に発布された墾田永年私財法は、人々に開墾した土地(墾田)の「私有」を永久に認めた法令として、安直に理解されている。
だが、このようなおおざっぱな理解だと、「公領」(国衙〈国司〉の支配する土地。現代的な表現をすれば「国有地」)が減り「私領」が増えるのであるから、国家の支配が弛緩したような印象を受けて当然であろう。
しかし、実際にはその逆なのである。
墾田永年私財法の内容を詳しくみていくと…
①身分・位階によって私有面積を制限する。
これは、大寺院(「初期荘園」では東大寺が有名であろう)や有力貴族が土地を独占しないように抑止されていたことが読み取れる。
②「開墾」には国司の許可が必要であった。
③輸租田であった(国から税がかけられる土地であった)。
②・③からは、「私有」を永久に許可しているといいながら、「律令国家支配」の枠組みに押し込められていることがわかる。
「開墾」した土地を政府が把握することは難しい。
しかし、国司の許可制にすれば、「国家が把握できている墾田」が増え、支配がしやすくなる。
また、「私有」を認めたとしても税金をとることを義務付けてさえいれば、国側はそこまで困らないのである。
この「私有地」なのに「税金がかかる」というところがなかなか感覚的に掴みづらい。
それまでは、月日がたつと頑張って耕作した土地は、政府に返還されてしまっていた。
(三世一身法が出された後は、「三世代」まで)
いくら頑張っても、「頑張り損」である。
しかし、「墾田永年私財法」によって私有が認められれば、自分達が頑張って少しでもよい土地にすればその見返りがある。
それだけでも、人々にとってみれば進歩だったし、「税」がかかるのは仕方のないことだった。
(もちろん、税がかからないに越したことはないので、かからないようにするため、大変な努力が始まるのだが…)
さて、まとめると、墾田永年私財法の発布は、「律令国家の動揺」を引き起こしたのではなく、唐から輸入した「律令」支配を「日本風」にアレンジしようとした努力の結晶なのであり、むしろ「律令国家」の支配が強くなったという見方ができるのである。
このように「墾田永年私財法」は様々な角度からの評価が可能なため、注意が必要だ。
ところで、この「墾田永年私財法」の発布により、「初期荘園」が成立していく。
それについては、別の記事に要点をまとめているので参考にしてほしい↓