【教材研究こぼれ話】明治期の地方政治
私は公立高校で日本史を教えている。
このブログでは、そこでの経験を基に日本史のあれこれをまとめている。
いままでは、勉強法についてまとめているので参考にして頂きたい。
今日はわかりづらい、明治期の地方政治についてまとめていく。
これは影が薄いがとても大事なところである。
私は歴史はざっくり覚えることが大切だと考えている。
「あ、これぐらいでいいのね」というアバウトな整理をし、あとから細かいことを覚えたければ覚えればいいのである。
今回のポイントは、戦後の地方政治と比べながら理解することである。
第二次世界大戦後、日本では戦後改革の一環で「中央集権的な地方政治」を廃し、「地方のことは地方で」が目指されていった。それが具体的に示されたのが、1947年に制定された地方自治法である。
つまり、戦前は「中央集権的な地方政治」がなされていたのである。
これはいかに作られていったのか。
まず、版籍奉還によって、藩主が支配していた土地・人民は名目上天皇に返還された。
しかし、江戸時代にいた藩主は現地に残り政治を主導し、税も藩により徴収されていた。
それが一段進み、中央政府の支配機構に組み込まれることになるのが、
有名な廃藩置県なのである。
これにより、知藩事(旧大名)は東京に集住し、中央政府の人間が県のトップ(府知事・県令)として地方政治を主導することになったのである。
江戸期(幕藩体制):「地方のことは地方で」貫徹
↓
版籍奉還:名目上は「中央集権的な地方政治」but「藩に
よる政治」が残存
↓
廃藩置県:「中央集権的な地方政治」がだいたい完成
そして、新しく大区・少区制が整備される。
現在:県ー市……
当時:県ー大区ー小区
しかし、これは実情にあった範囲設定がなされない等問題があり、あまり機能しなかった。
このように、「中央集権的な地方政治」は、地方の実情に合わないところがあり、地方で不満が噴出した。
それに加えて、自由民権運動が高まっていた当時、地方政治を自らの手で行うという熱が高揚した。
国政ではなく、まずは自分たちが暮らす地方の政治から変えていこうと考えるのは現代にもつながるところであろう。
そこで出てくるのが、1878年に公布された地方三新法(郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則)、市制・町村制(1888)、府県制・郡制(1890)なのである。
これによって、「地方のことは地方で」がある程度実現したのである。
しかし、これは「ある程度」にすぎない。
なぜなら、地方政治は「中央集権的」な役人(官僚)である府県知事・郡長がトップに立ち、政治がとられたからである。
そのため、確かに制度的には「地方のことは地方で」を行っていることになっていたが、中央政府の干渉を排除しきることはできていなかった。
この中央政府の干渉を排除することになるのが、先述の戦後の改革である。
(もちろん、いまも中央政府の干渉を排除しているとは言えないのであるが・・・)
このように、よくわからないものは、何かと比べながら理解するのが大事になってくる。
今回でいえば、「明治期の地方政治」と「戦後の地方政治」である。
このような視点を取り入れて勉強を進めていこう。