【教材研究こぼれ話】イメージしづらい「兌換紙幣」「不換紙幣」のちがいとは?すっきり解決!!

私は公立高校で日本史を教えている。

 

このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。

 

日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが公立高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。

 

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今日は苦手としている人が多い、「兌換紙幣」と「不換紙幣」について説明していく。

 

その前に基礎的なお話を……

 

 

お金はいくらあってもうれしい。

私もお金持ちになりたい

 

みんなそう思うのであれば、たくさん紙幣を刷って、みんなの手元にたくさんの1万円札があれば、超ハッピーな気もしてくる。

 

しかし、お金は増やしすぎると急激に価値がなくなっていくことを覚えておかなければならない。

 

ダイヤモンドは、なぜあんなにも高額なのだろうか?

これは、単純に数が少ないからなのである。

 

つまり、紙幣も社会(市場と呼んでもよい)に出回っている枚数が多くなれば、その分だけ「レア度」は下がり、価値が下がっていく。

 

これをインフレーションと呼ぶ。

この状況下では、物価が高くなり、輸出に有利になる(これは別の機会に説明)。

 

反対に、社会(市場)に出回っている紙幣の枚数が少なくなれば、その分だけ「レア度」が高まり、価値が上がっていくのである。

 

これをデフレーションと呼ぶ。

この状況下では、物価が低くなり、輸入に有利になる(別の機会に説明)。

言い換えれば、デフレ下では、物よりもお金の価値の方が高いとも理解できる。

なので、みんながお金を払いたくない社会状況だともいえるだろう。

 

この話は、日本史に関わらず、生きていく上でとても大切な理解なので、しっかり整理しておこう。

 

 

さて、話を「兌換紙幣」「不換紙幣」に戻そう。

 

まず、「兌換紙幣」とは何か?

 

これは、金や銀(正確には「正貨」と呼ばれる「金貨」「銀貨」)の量だけ発行できる紙幣である。

 

先ほどもいったが、お金はいくらでも増やせばいいとは限らない。

たくさん増やしすぎると価値が下がってしまうからだ。

 

なので、「この紙幣1枚は、価値あるものだ」と証明するために、紙幣を印刷できる量を、国が保有している「金」「銀」の量までにすると約束するのである。

 

「金」「銀」がとても貴重なのは理解できるであろう。

 

その分だけしか印刷できない「紙幣」も当然「貴重」なものとして、人々に認識される。

 

明治時代以降、世界中で「金兌換」や「銀兌換」が取り入れられるようになり、日本もそれを導入していったのである。

 

だが、「兌換紙幣」にも弱点がある。

 

それは、「ほんっとうに、お金が困っているときにお金を増やせない」ということなのだ。

 

例えば、西南戦争の際、政府は多額の戦費が必要になり、お金がたくさんほしくなった。

 

このような場合、正しい順番でいえば、紙幣を増やすのではなく、税金を増やすなど「お金を集める」方法で調整することが望ましい。

 

しかし、それがなかなかうまくいくとも限らない。

 

そのため、政府は「お金を集める」のではなく、「お金を印刷して増やす」選択をとることが多かった。

 

この場合「兌換紙幣」だと「金」や「銀」の量までしか、お金を刷ることができない

 

そのため、「金」や「銀」と交換できるというルールがない「不換紙幣」が大量に刷られることになるのである

 

この不換紙幣は、国家への「信用」によって成り立つ紙幣といえる。


この頃、国家への「信用」はそれほど高くなく、お金としては「弱かった」。

しかし、お金を大量に刷ることで、目先の目標は達成される。

 

だが、当然紙幣が社会(市場)にたくさん増えれば、インフレが起きるのである。

お金は増やしたら、その後の処理がむずかしいのである。

(実はこれは現代にもつながる話なのだが…)

 

 

 

さて、長々と説明してしまったが、「兌換紙幣」「不換紙幣」の持つ意味がわかったであろうか?

 

ここに整理されたことをもとに教科書を熟読してほしい。

きっと理解度を高めてくれるはずである。

 

【教材研究こぼれ話】明治時代、議会解散・内閣退陣多すぎじゃね?その理由とは?

私は公立高校で日本史を教えている。

 

このブログではその経験を生かして、勉強法や歴史のあれこれについてまとめている。

 

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さて、明治時代の勉強をしていると、ふとこんなことを思うのではないだろうか?

 

議会解散しすぎじゃね?」

「見通しが立たず解散って何?」

 

このような疑問を持つのは、現代人にとって当然のことだといえる。

 

この疑問に答えるためには、いまの内閣ー国会の関係と、明治期のそれとの違い、そして、大日本帝国憲法明治憲法)の特徴をしっかりおさえる必要がある。

 

まず、現代において、内閣と国会の関係を表すものに、議院内閣制というものがある。

 

これについて「衆議院」のホームページがまとめてくれているので引用してみよう。

www.shugiin.go.jp

 

内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名されます。また、内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負うものとされており、衆議院で不信任を議決されたときは、衆議院を解散するか、あるいは総辞職をしなければなりません。このように内閣の組織と存続の基礎を国会に置く制度を議院内閣制といいます。

 

ここで大事な事実は、内閣総理大臣が国会議員の中から選ばれること、さらにいえば、最大与党の代表者が選ばれることが重要である。

 

つまり、多くの場合、内閣と国会の間で意見が対立することはないのである。

(もちろん、「ねじれ国会」などの場合は除く)

 

しかし、大日本帝国憲法下では、内閣についての規定は存在していない。

 

そのため、内閣は国会の意見を代表しているとは限らず、意見の対立が生まれやすかったのである

 

また、明治憲法には次のような規定があることも重要である。

 

大日本帝国憲法第65条

予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ

大日本帝国憲法第71条

帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ

 

明治期に内閣が解散に至る理由に、軍備拡張のための予算案不成立があげられる。

 

これは、いくら内閣が軍備にお金を回したいと考えても、国会(とくに衆議院)の反対があったならば、それが叶わないことを意味している。

 

このような状況になると、見通しが立たないため、議会を解散しもう一度選挙を実施するのである。

 

また、教科書には、内閣が政党を味方につけるといった趣旨の文言がしばしば出てくる。

 

内閣は、予算案や法律が思い通りにいかないと、議会の議席を得るために、政党に近づき、内閣にとって有利な方向にもっていこうとした。

 

そして、そのかわりに政党の有力な人物(政党の代表)を内閣に引き入れたのである。

 

 

上記のような説明をきけば、なぜ明治時代にあれほどまでに議会を解散する/内閣が退陣するのかイメージできるのではないだろうか。

 

このように、疑問に思ったときは立ち止まり、理由をじっくり考えていこう。

 

 

 

 

【教材研究こぼれ話】太政官制から内閣制度に変わる意味はあったか?

私は、公立高校で日本史を教えている。

 

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日本史の学習を進めている生徒や、日本史を専門としないが公立高校で日本史を頑張って教えている先生方はぜひ参考にして頂きたい。

 

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今日はタイトルにある、明治時代に整備された太政官制の廃止と、その後の内閣制度の整備がなぜなされることになったのか扱っていく。

 

まず、1867年(慶應3)に王政復古の大号令が出されたことを思い出してほしい。

 

これにより、幕府は滅亡し、朝廷のもとで有力な藩が共同して政治を行うことが目指されることになった。

 

(実は、ここにも大きな問題があるので、別の機会にまとめたいと思う。)

 

さて、王政復古の大号令により、明治新政府初の行政機関である、三職(さんしょく)が設置された(総裁・議定・参与)。

 

その後、中央集権国家の建設を目指す明治新政府は、政体書を公布し、アメリカの「三権分立」をならう形で、太政官制を導入したのである。

 

これは、古代の律令制の話に出てくる太政官制を真似ている。

狙って、そうしているのである。

 

古代(醍醐・村上天皇の延喜・天暦の治など)は、摂関や院、武士といった者たちから干渉を受けることがなく、天皇が自ら政治をとることができていた理想的な時代だとされていた。

 

こういった政治を、天皇親政」と呼ぶ。

 

版籍奉還の後、土地・人民が天皇に返還されたことで、天皇を中心とした国家形成がなされていったのである。

 

明治新政府は、幕府政治と決別し、天皇中心の国家建設に邁進した。

 

そして、廃藩置県直後には、さらなる中央集権化を目指し、三院制が導入された。

これにより、正院・右院・左院が設置されることとなる。

 

ただ、これも太政官制の亜種に過ぎない。

 

では、なぜここから「内閣制度」に転換するのか?

 

それは、国政(国の政治)を決定する者と、その決定したものを実行する者とが分離していたことが問題だったのである

 

太政官制において、国政を決定する者は大臣(左大臣・右大臣)と大納言、そして参議であった。

 

彼らは「正院」という最高機関を構成した。

 

しかし、実際に正院の決めた政策を実行するのは、関係省庁であった。

特に関係省庁の諸省長官と、対立することがしばしばであったのだ。

 

これは、内閣制度では起こらない問題なのである。

 

いまの内閣制度を想像してほしい。

 

どのような政治を行うのか話し合うのは、内閣総理大臣を中心とした内閣のメンバーであり、その政治を実行するのも、大臣を中心とした省庁であるはずだ。

 

このように、太政官制は国政の決定者と国政の執行者(政治をおこなう者)とが分離していたのが問題であり、そのため内閣制度の整備が目指されたのである

 

当然内閣制度の整備には、諸外国の政治制度を取り入れようとする単純な思惑もあったはずだが、上にまとめたような背景もあったことをぜひ知ってほしい。

 

暗記で終わってしまいがちな明治期の制度整備も、「なぜそうなったのであろう」と疑問を持つことで深い学びになっていく。

 

ぜひそのような学びのヒントとしてほしい。

 

 

【教材研究こぼれ話】明治期の地方政治

 私は公立高校で日本史を教えている。

 このブログでは、そこでの経験を基に日本史のあれこれをまとめている。

 

 いままでは、勉強法についてまとめているので参考にして頂きたい。

 

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今日はわかりづらい、明治期の地方政治についてまとめていく。

これは影が薄いがとても大事なところである。

 

私は歴史はざっくり覚えることが大切だと考えている。

「あ、これぐらいでいいのね」というアバウトな整理をし、あとから細かいことを覚えたければ覚えればいいのである。

 

今回のポイントは、戦後の地方政治と比べながら理解することである。

 

第二次世界大戦後、日本では戦後改革の一環で「中央集権的な地方政治」を廃し、「地方のことは地方で」が目指されていった。それが具体的に示されたのが、1947年に制定された地方自治法である。

 

つまり、戦前は「中央集権的な地方政治」がなされていたのである。

これはいかに作られていったのか。

 

 

まず、版籍奉還によって、藩主が支配していた土地・人民は名目上天皇に返還された。

 

しかし、江戸時代にいた藩主は現地に残り政治を主導し、税も藩により徴収されていた。

つまり、幕藩体制下の地方自治は温存されたのである。

 

それが一段進み、中央政府の支配機構に組み込まれることになるのが、

有名な廃藩置県なのである。

 

これにより、知藩事(旧大名)は東京に集住し、中央政府の人間が県のトップ(府知事・県令)として地方政治を主導することになったのである。

 

江戸期(幕藩体制):「地方のことは地方で」貫徹

 ↓

版籍奉還:名目上は「中央集権的な地方政治」but「藩に

よる政治」が残存

 ↓

廃藩置県:「中央集権的な地方政治」がだいたい完成

 

そして、新しく大区・少区制が整備される。

 

現在:県ー市……

当時:県ー大区ー小区

 

しかし、これは実情にあった範囲設定がなされない等問題があり、あまり機能しなかった。

 

このように、「中央集権的な地方政治」は、地方の実情に合わないところがあり、地方で不満が噴出した

 

それに加えて、自由民権運動が高まっていた当時、地方政治を自らの手で行うという熱が高揚した。

 

国政ではなく、まずは自分たちが暮らす地方の政治から変えていこうと考えるのは現代にもつながるところであろう。

 

そこで出てくるのが1878年に公布された地方三新法(郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則)、市制・町村制(1888)、府県制・郡制(1890)なのである。

 

これによって、「地方のことは地方で」がある程度実現したのである。

 

しかし、これは「ある程度」にすぎない。

 

なぜなら、地方政治は「中央集権的」な役人(官僚)である府県知事・郡長がトップに立ち、政治がとられたからである

 

そのため、確かに制度的には「地方のことは地方で」を行っていることになっていたが、中央政府の干渉を排除しきることはできていなかった。

 

この中央政府の干渉を排除することになるのが、先述の戦後の改革である。

(もちろん、いまも中央政府の干渉を排除しているとは言えないのであるが・・・)

 

 

このように、よくわからないものは、何かと比べながら理解するのが大事になってくる

 

今回でいえば、「明治期の地方政治」と「戦後の地方政治」である。

 

このような視点を取り入れて勉強を進めていこう。

 

 

 

 

 

【日本史勉強法④】マニアックな知識に惑わされるな!!

私は、公立高校で日本史を教えている

 

生徒と会話していると、日本史の勉強について「それはどうなんだろう・・・」と思ってしまうようなものが多い。

 

前回までの記事では、「一問一答」・「教科書学習」・「過去問」について扱っているので、そちらも参考にしてほしい。

 

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今回は、前回に扱った「過去問」についての話の続きとなる。

 

公教育に関わる私にとって、大学を偏差値で判断して、それについて語ることは憚られる。

 

だが、真面目に勉強を頑張っている生徒にとって、偏差値の高い大学に入学したいという願いは、全く不純なものではないので、ご容赦願いたい。

 

さて、偏差値の高い大学の過去問を解いていると…

 

こんな用語聞いたことがない!

どうやって解くのか見当がつかない!

といったことに出くわすことが多くあるだろう。

 

この後の頭の使い方がとても大切になる。

次の選択肢のどちらが正しいか考えてほしい。

 

①出てきた問題、その答えを全て覚える

②覚えるべきかどうか、考える

 

このように選択肢を与えてしまえば、簡単かもしれないが、正解は②である

 

真面目な生徒ほど、過去問を解いていて知らない問題に出くわすと、それを全て完璧に覚えようと努力する

しかし、それは限られた時間に、いかに効率よく勉強をするか競う受験の場においては、必要ないものだと思う。

 

おそらく、大学側は「マニアックな問題を知っているか」を知りたいから、その問題を出題したいというよりは、平均点を調整するためにその設問を作っている。

つまり、点数を取らせる気がそもそもないのである。

 

マニアックな問題を頑張って覚えたとしても、自分が受験するときには、さらなるマニアックな知識が出題されるに違いない。

 

これでは、がんばって覚えたとしても「覚え損」になってしまうのである。

 なので、生徒にとって必要なことは、まず「覚えるべき用語なのか立ち止まって考える」ことが大切なのである。

 

では、「覚えるべき用語」というのは、どのような判断基準をもって判断すればいいのだろうか。

一つは、センター試験・共通テストに出題されるようなレベルの用語。

あるいは、学校や予備校で基礎的な用語として習ったものが基準となる。

 

塾や予備校の先生というのは、この覚えるべき単語を熟知している人ということになるので、もし覚えるべきか分からなければ、どんどん質問すればいいだろう。

そして、この質問に答えられないのなら、その塾や予備校の先生は信用しない方がよい。なぜなら、過去問の研究をしていないからである。

 

「基礎的な用語だけを覚えておけばいいなんて、簡単ではないか」

 

このような考えをもった人がいたとしたら、大間違いである。

 

基礎的な用語は、それだけでも膨大な数になる。

そして、基礎的な用語をどのように問うのかということもおさえなければならない。

これをしっかり覚えることができれば、間違いなく上位10%以上の受験生になることができるだろう。

 

古代から現代まで、もれなく基礎的な用語を整理して覚えていく

 

これを意識して勉強してほしい。

 

最後に付言するとするならば、いま話したことは、こと「受験」に限った話であることを忘れないでほしい。

 

学問をすることに、効率は必要ない

 

歴史を学ぶことが楽しいのであれば、とことんまで深堀してほしい。

それは、将来とても役立つ能力を育ててくれると思う。

 

もし、何かの縁でこのブログに辿りついた日本史学習者がいたならば、これらを参考に学習を進めてほしいと思う。

【日本史勉強法③】過去問は受験直前までとっておく?そんなことはありえない!!

私は、公立高校で日本史を教えている。

 

生徒と会話していると、日本史の勉強について「それはどうなんだろ・・・」と思ってしまうようなものが多い。

 

前回までの記事では、「一問一答」・「教科書学習」について扱っているので、そちらも参考にしてほしい。

 

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今回扱いたい内容は、過去問」についての話である。

 

生徒のなかには、「過去問は、受験の直前に、自分の実力を知るためにとっておく!」といったことを考えている人もいるだろう。

 

しかし、これは完全に間違いである

 

上のような考えを持つ人のなかには、「最新の年度の過去問は最後にやろう!!」といったようなことを考えている人もいるのではないだろうか。

 

これは、ゆっくり立ち止まって考えれば、おかしいことに気付くのではないだろうか。

 

まず、過去問を解くということは、「敵について知る」ということと同義である。

 

敵にはどのような特徴があり、どのような弱点があるのかということを、早い段階に知っておいた方が、当然良いに決まっている。

 

もし、志望校が決まっているのであれば、過去問を解くことで、「選択式の問題しかでない」「記述の問題も出題される」「考古はでない」といったような特徴を知ることができる。

 

逆にいえば、過去問を早い段階から解いておかなければ、学習に余計な労力を使ってしまう危険性があるのである。

 

さらに、最新年度の過去問をとっておくことを上で批判したが、大学によっては、出題傾向が急に変わっていることもある。

 

古い年度の過去問から解いていき、受験の直前に対策していた内容は近年出題されないことに気づくといった悲しい事件は、毎年のように生徒から聞いている。

 

だからこそ、過去問は早い段階に解いておくべきである。

 

もし、2~3月に受験をするのであれば、夏までには最新年度の過去問を解いておいた方が良い。そして、「敵を知る」のである

 

「知識が完璧になってから過去問を解くんだ!!」

 

こう意気込んでいる生徒も多いことだろう。

 

だが、受験生の多くは、知識が完璧に(近い形に)なるのは、受験直前になってしまうだろう。

 

過去問を解く際に、知識の完璧さにこだわりすぎることはない。

 

むしろ、自分の弱点を知るという意味で、積極的に過去問を解いてほしい。

 

もし、何かの縁でこのブログに辿りついた日本史学習者がいたならば、これらを参考に学習を進めてほしいと思う。

 

なお、過去問の学習の仕方については、また機会を改めて説明したいと考えている。

 

【日本史勉強法②】教科書を何回も読めば成績が劇的に上がる?あなた天才ですか??

私は、公立高校で日本史を教えている。

 

生徒と会話していると、日本史の勉強について「それはどうなんだろ・・・」と思ってしまうようなものが多い。

 

前回の記事では、「一問一答」について扱っているので、そちらも参考にしてほしい。

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さて、今回は「教科書学習」についての私見をまとめたいとおもう。

 

よく「教科書を20回読んだら、成績上がりました」というような体験談が、youtube等にあがっている。

 

この勉強法は非常に注意が必要なので覚えておいてほしい。

 

かくいう私も、勉強の基礎として、どんなときも教科書に立ち返る意識は大事だと思っている。

 

しかし、端的にいって教科書を読むだけで成績が上がるという認識は間違っているとおもう。

 

まず、これを読んでいる生徒は、読書の習慣がどれほどあるだろうか?

 

私は、月に5~10冊ぐらい本を読む習慣があるが、多くの生徒は読んで2~3冊という感じではないだろうか。

 

だからこそ、問いたい。

 

「ちゃんと、教科書を読んで理解できるのか?」と

 

あるいは、国語の成績と照らし合わせてもらってもいい。

 

「あなたは国語の成績がよいだろうか?」

「論説文を理解できているのだろうか?」と

 

もしNOであるならば、教科書の学習はオススメしない。

 

「教科書を読んで学習をしています」と言ってくる生徒の多くは、ただ「読んでいる」だけで、少しも理解できていない。

 

あるいは、理解できた気になっていても、全く頭に入っていない。

 

理由は簡単で、文を読んで理解するという習慣がないからである。

 

本を読んで、そこに書いてある内容・用語を頭にしっかり整理していくというのは、生徒にとってはかなり高度なことだと感じている(多くの大人もできていないが・・・)。

 

だからこそ、「教科書を20回読みました」というような学習は、ただ読んで終わってしまう可能性が高いためオススメしない。

 

最近、教科書よりも平易に日本史を解説してくれるものが増えたが、その背景には上で説明したようなことが少なからず影響しているのだと思う。

 

 

では、どのように学習すればいいのか。

 

最初にいったように、教科書を基礎・基本においてもらうことは大いに結構なのだが、必ずアウトプットする教材を片手に学習を進めてほしいのである。

 

つまり、学習するときは・・・

 

①教科書・教科書に準じた参考書(講義系の参考書)・授

業(ノート)を使って〈インプット〉

②問題集をときながら〈アウトプット〉

 

これを繰り返すことが重要なのである。

 

「教科書だけ」でもダメだし、問題集だけでもダメなのである。

 

もし、何かの縁でこのブログに辿りついた日本史学習者がいたならば、これらを参考に学習を進めてほしいと思う。